なぜ日本人は自殺するのか


日経ビジネスのコラムで、内閣府の官僚が日本人の自殺率増加を取り上げているのだが
強い違和感を感じる。著者のスタンスは以下の一文にはっきりあらわれている。

すなわち経済社会全体で、解雇が容易な非正規雇用の増加を防ぐ
ことと、正規職員についても安易な整理解雇や強要に近い退職勧奨
を防ぐことが重要です。


要するに、流動化なんてもってのほかというわけだ。

でもね、失業率と自殺率は比例すると言いつつ、流動化に反対する理由がわからない。
つまり現在の非正規雇用及び失業者はしょうがないよね
諦めてねってことなのか。

ここでは詳細は書かないが、メンタルトラブル等の急増の背景には、人事の硬直化、
階層の固定化と言った日本型雇用システムの機能不全が深く関係していると考えている。
著者の言うのは階層の固定化であり、完全に逆効果だ。

そもそも、本当に失業率と自殺率は因果関係にあるのか。
もしそうだとすれば、なぜ平時でも失業率10%前後の雇用崩壊国家フランスのそれは
日本より低いのか。
著者のロジックなら日本人の倍以上、フランス人は死んでいるはずではないか。
そして、悪の資本家の巣窟であり、安易な整理解雇し放題の英米のそれは、なぜその
フランスよりもさらに低いのか(WHO調査)。
労働市場が流動化しつつも、日本の自殺率の半分以下ではないか。

さらに言うなら。
国家公務員の自殺率が高止まっているのはなぜか。
特に長期病欠中の職員における精神・神経系理由の割合が、10年間で4倍
(14%→63%)に激増したのはなぜか(人事院H18およびH19年度年次報告書)。
国家公務員が「安易な整理解雇や強要に近い退職勧奨」されているなんて話は
聞いたことがない。
つまり、著者のロジックはお膝元ですら完全に破綻しているのだ。

著者の経歴は、典型的なキャリア官僚のそれだ。
内閣府から、内閣府・厚労省の天下り団体である連合総研を経由
してアカデミズムへ。典型的“御用学者”養成コースだ。
連合総研という時点で、どんなバイアスを持っているのか
明らかだろう。


スポンサー様のための世論誘導か、単に実務が分からないだけなのかは知らないが
こういうテーマで二度と発言するなといいたい。

転職で成功する人は意外と多い


雇用問題に対するスタンスは違っても、「若年層においては既に一定の流動化が見られる」
という点で異論のある人はいないだろう。
こちらの記事では、転職に対する世代間の意識差がはっきりと出ていて興味深い。

若い世代ほど肯定的で、上に行くほど否定的と言うのは当然だ。
価値観というよりは、転職市場で自分自身もそのように評価されるのだから、そうなる。
合コンでひどい目に会って、「合コンなんて意味ないよ」というようなものだ。

意外だったのは、転職経験者で成功だと考えている人間が過半数を超えている点だろう。
特に30代では、「どちらとも言えない」を除いても6割の人間が転職成功体験を持っている
ことに少々驚いた。

ベテランの中には「転職でどんどん年収が下がるぞ」とか「使い捨てにされるだけだぞ」
といって安易な転職を戒める人たちがいるが、現実はむしろ逆だということだ。

余談だが、僕の周囲には「失敗した」と嘆く人間がゴロゴロいる。
(というか、むしろそっちの方が多い)
今回のような明るい調査結果がある一方で、彼らが失敗を実感する理由は何だろう。

実は、失敗派には、みな新卒でそれなりの規模の会社に入っているという共通点がある。
合理的に考えると、同規模の大手に転職しても、同じ年功序列である以上、処遇なんて
大して変わりは無い。
となると、彼らがそれ以上の待遇を得るには、完全実力主義の組織か、立ち上げ後間もない
ベンチャーに転職して頭角をあらわすしかないわけだ。
ちなみに、僕の知る大手出身の成功例は、上記2パターンでほぼ100%を占める。

要するに、大手から転職によってさらに上を目指すのは、現状ではとてもハードルが
高いということだ。

「直近の転職は成功だったか」
恐らく、最初にどういった会社に入ったかによって、回答結果は180度違ってくると思われる。






危機の宰相

危機の宰相 (文春文庫)
沢木 耕太郎
文藝春秋

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60~64年に首相在任し、高度成長期の基礎を築いた池田勇人。
彼の名は知らなくても、所得倍増計画は知っているという人は多いだろう。
彼とそのブレーンたちの生き様を描いた沢木耕太郎のノンフィクションが本書だ。

40年以上の時が過ぎ、もはや歴史になりつつあるが、今読んで得るところが多いことに
驚かされる。
ブレーンの一人、田村敏雄の以下の言葉は、そのまま現在に置き換えても重い意味を持つ。

乏しきを憂えず、均しからざるを憂うなどと、どうして今頃いうのか。
それは戦時非常体制下の支配者の言葉ではないか。
この現代において均しからざるを解消しようとすれば、
経済の成長しかないのだ。
たとえばいま、年間二百万円以上※の所得を持つ人から
超過分を没収したとしよう。それでいくらになると思うか。
三百数十億円だ。それを国民ひとり当たりに均しく分配すれば
三百円にしかならないということは、簡単な算術ではないか。
格差は動的、発展的なプロセスで解消すべきだし、またできない
はずはない。

※現在の年収一千万程度

いまだに階級闘争を主張する左派はもちろん、日本的道徳とやらに立つ保守からも
バッシングされたホリエモンは獄に放り込まれたが、それで格差が解消したかと
いうと全然そんなことはなくて、むしろ新興市場が冷え込んでパイは減ってしまった。
規制と増税で再分配を強化するより、規制緩和でパイを増やしたほうが豊かになれる
というのは、スウェーデンの社会党から中国共産党まで共有している認識だ。

そして、もう一人のブレーンである下村治の有名な言葉も引用される。

経済成長ということは、本来自由化を条件として含んでいるはず
であって、また自由化という条件が無ければ、経済成長は
相当重大なゆがみを与えられることになる。

(日本経済成長論より)

面白いのは、当時は自信のなかった経済界自身が、自由化に及び腰だったこと。
競争力のある海外製品に市場を独占されるのではないかと懸念したわけだ。
そこで自由化に踏み出していなければ、今日の日本はどんなものだろう。

所得倍増計画というと、まずインフレや積極的な財政出動が頭に浮かぶが、もちろん
むやみにばらまいていたわけではない。
東海道新幹線は日本の動脈として、今も休まず動き続けている。
先進国として成熟し、なにが動脈たりえるかの議論が曖昧なまま
システムの枠組みだけが残ってしまっているというのが、
現在の状況だろう。


それにしても、素晴らしい。歴史には学ぶべきものがたくさんある。
沢木氏の原文は70年代のものだが、今、それを文庫化してくれるセンスも素晴らしい。
文春もやるときはやるものだ。
 

経済成長という病

経済成長という病 (講談社現代新書)
平川 克美
講談社

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うちのブログは団塊世代は見てないだろうからはっきり書かせてもらうが
(いたら読み飛ばして欲しい)、僕は正直言って団塊世代が好きではない。
某公共放送局の団塊テーマの討論番組にキャスティングされたものの、危険視されて
外されるくらい好きではない(代わりに谷村新司が出ていた)。
嫌いな理由はいろいろあるが、その嫌な部分を煮詰めたような本がこれである。

もう帯からして泣ける。
「いま、本当に考えなければならないこと-崩れゆく時代の必読書」
なんだこの、当事者性のカケラも感じさせない説教臭いフレーズは。

昨年あたりから、保守層の一部に「そろそろ成長を諦めよう」的な意見が台頭しつつ
ある。60前後の論者が中心で、論壇でも
『もはや成長という幻想を捨てよう』(佐伯啓思:中央公論12月号)などがぼちぼち
顔を出す。

要するに、自分たちはこれまで高度成長だナンだと競争に突き動かされ、大事なもの
をいろいろ見失ってきた、だから今後は経済成長にこだわらず絆を大切にしましょうね、
という思いやり深い人間宣言である。

正気だろうか。ゼロ成長を続けるということがどういうことか、想像したことがあるのか。
個人の生活で言えば、給料が上がらない、出世も出来ない、ローンも組めないということだ。
たとえゼロ成長下でも原資全体の再分配を行なうなら、優秀者に限っては勝ちあがれる。
だが現状、職能給というわけのわからないガラクタのせいで既得権を含めた再分配は
認められていないので、若年層にはなんとも希望の無い社会となる。
給料が上がらないと嘆く30代も、正社員の椅子が空かないとこぼす派遣社員にも、
この手の自由競争否定論者は、いかなる答えも提示しようとはしないのだ。

あくまで国の成長自体を追及するか、それとも現状維持で
我慢するか。どちらにせよ、それは血まみれの大改革を
推進することで可能なのであり、痛みの伴う改革はすべて
イヤですというのは、国家規模の自殺行為でしかない。


そもそも、赤字国債というのはローンみたいなもので、今より将来は賃金が上がる
だろうが今はまだ買えない、でも今買っておくと後々まで有用だというモノに対して
使うべきものだ。
つまり、ゼロ成長なら、PB黒字化は最低条件であり、平成20年度でいえばあと
最低5兆円は歳出をカットしなければならなくなる。
さらにいえば、毎年の利払い分約9兆円も現役~将来世代が負担し続けるのは理不尽だから、
使い込んだ世代にきっちりツケを払っていただかないといけない。
(今の30歳以上が年齢に応じて負担するべきだろう)
現在の債務残高1200兆として、先進国最低水準の英国並のGDP比50%まで債務残高を減らすために1000兆円程度は必要になる。
とりあえず団塊世代には、総額80兆以上とも言われる退職金と年金全額返上くらいは
して誠意を見せていただかないと。

だが、“懺悔する団塊たち”は、そんなしおらしさはけして見せない。
ただひたすら、「もう無益な争いはやめよう」というのだ。

要するに、さんざん食い散らかした後で、遅れてきたヤツもこれから参加予定のヤツも
含めて「みんなで仲良く割り勘にしよう!人類みな兄弟!」って言ってるような
もんだろう。バブルからゆとり世代までひっくるめても、今の日本にこれほど
厚顔無恥な主張があるだろうか。

驚くのは、著者がまがりなりにも経営者としてビジネスの現場に携わってきた人間
だという現実だ。学生時代は学生運動、社会に出てからは中産階級として昭和的価値観
を担い、リタイヤと共にマルクスだの日本的美徳だのスローライフだの掲げてその実、
既得権に全力でしがみつく。この世代の節操の無さ、理念の低さは目に余る。

退化に生きたきゃ、どこか山の中にでも篭って勝手に暮らすといい。
もちろん、年金も医療も辞退した上で。


映画 『国道20号線』


東京で綺麗なもん着て美味い酒飲んでたって、おまえの田舎はこんなもんだろうと、
一皮剥いてべろんと広げて見せられたような、そんな映画だ。

開始2分で、ぐいぐいと引き込まれる。
かっこいい街ではなく、たんなる中途半端な田舎の話。
イケメンでもクールでもなく、全然いけてない連中がのた打ち回る現実だ。

定職にもつかず、その日暮しでギャンブルとシンナーに溺れる主人公のヤンキー。
もう救いようがないほど迷走しているのだが、よくみると彼だけではない。
他の登場人物も、やはり出口の無い迷路の中で喘いでいる。
その迷路は現実には迷路ではなくて、東京までつながる一本道の国道沿いのことだ。
そこにはいつ頃からかしらないが、パチンコやサラ金、フランチャイズのチェーンばかり
が流れ着き、上辺の華やかさだけは充実している。
でも、日本中が同じ景色になってしまい、そしていつの間にか迷路が出来てしまった。
ラストは意見が分かれるだろう。逃走か、たんにラリってるだけか。
あるいは、迷路からの脱出か。

地域にも寄るだろうが、地方出身者というのは、たいてい見聞きしたことのある話だろう。
進学であれ就職であれ、みんな何らかの形で脱出してきているはずだ。
中学の同期が100人いれば、60人くらいは都市に出て行くわけだから、そりゃ地方は
寂れるわけだ。仕事でも遊びでも、新しく生まれるものなんてたかがしれている。

僕自身、心の底には「おまえは田舎に何もしちゃいないじゃないか」という後ろめたさ
のようなものがある。それが映画に引き込まれた理由だ。
そういう意味では、本作で描かれる20号線沿いは、今の地方の原風景であるとともに、
そういった地方出身者の原罪の姿でもある。

見終わってふと気づいた。
この映画はどこかイージーライダーに似ている。
監督に聞いてみたらニヤリと笑っていたので、意識はしていたのだろう。


現在、VoiceWaveにて富田監督との対談を放送中。

映画の公開スケジュールはコチラ

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