元少年Aの「絶歌」の書評をブログでも書こうかと思ったが、既にいろんな人が書いているので、かわりに本書の書評でも書いておこう。というのも、ある死刑囚の若者の獄中手記をもとにした本書は、個人的には「絶歌」と対になる存在だと考えているからだ。





それにしても、身もふたもないタイトルである。まず、事件の概要について。

2004年9月、福岡県大牟田市のヤクザの一家が資産家一家を惨殺した事件で「大牟田一家4人殺害事件」と聞けば思い出す人も多いはず。本書の手記は、そのヤクザ一家の次男によるものだ。「なぜお金取るのに4人も殺害する必要があったのか」という疑問を抱く人も多いだろうが、そこにはこんな経緯があった。

ヤクザ北村組の組長(一家の父ちゃん)と姐さん(一家の母ちゃん)が、多額の借金をしている資産家を殺害し、借金帳消し&資産強奪を画策。元力士の長男に犯行指示。

長男、やはり元力士の次男(当時二十歳)に「おい、あの家に数千万あると!おれらが先に盗ってやまわけたい。留守番の息子は邪魔やけ殺すぞ!」と共謀してまず1人目。

その事実を知らないヤクザ両親、資産家の母親を呼び出して拉致。息子2人に命じて殺害、2人目。

結局金なんて見つからないのだが「母親と弟が行方不明になれば長男は真っ先にうちを疑うだろうから」という理由で大学生の長男を拉致、一緒にいた友人もろともに殺害、3&4人目。

というわけで、ものすごい行き当たりばったり&冷酷非情な犯行の結果、4人を殺害して川に沈めたけどすぐ発覚して一家全員逮捕、その後一家4人死刑確定という流れである。

本書の手記を読むとわかるが、手記を書いた次男はまったく反省も追悼の念も見せない。頭の悪そうな文章で詳細に犯行を描写し、殺人のシーンではやや興奮気味に、自らの手際の良さを誇るかのように説明してみせる。被害者一家の長男なんて彼の幼馴染みたいな存在なのだが、その時でさえまったくためらいも見せぬままあっさりと殺して見せる。

ただし、本書からは、加害者側の言い分を聞いた時に感じる“もやもや感”はまるで感じない。それは筆者だけのレスではなくて、実際に本人は出版社と契約を結んでお金のために手記を書いているのだが、「A少年」のように叩かれているのを筆者は一度も聞いたことが無い。

それは恐らく、彼が「ほとんど純粋な悪」であり、かつそれを自認しているからだろう。ちなみに彼のロジックはこうだ。
「自分はヤクザとして組とオヤジのために殺人を犯したのでヤクザとして筋は通している。もちろん死刑になっても構わない」

彼はよくある「犯行時、心神耗弱につき~」なんて減刑狙いの主張はしていないし、死刑確定後も「凶悪犯罪抑制のため死刑制度は必要」と述べている。ある意味(極悪人として)彼は筋が通っているとも言える。

そういう観点から言えば、元少年Aの「絶歌」に対する「反省していない」「過去を美化しようとしている」といった批判は、筆者はややずれていると思う。我々が絶歌を読んで何とも言えないモヤモヤっとした気持ちになるのは(受け止め方に程度の違いはあれ)著者に反省の色が見られるからだろう。

モンスターがモンスターのままでいてくれれば、我々は安心できる。それは所詮、人の世に迷い出てきた鬼っ子に過ぎず、ずっと閉じ込めておくか殺すかして、後はきれいさっぱり忘れてしまえばよい。彼は我々とは違う世界の存在なのだから。

でも、モンスターが過去を悔いたり思い悩んだりしてしまった途端、我々は不安感にさいなまれてしまう。彼はこちらの世界の存在であり、彼の問題は我々自身の問題として向き合わねばならなくなるからだ。

筆者自身、元少年Aが目の前に現れたら、どう対応していいのか見当もつかない。そして心のどこかには、彼には更生なんかしなくてずっとモンスターのまま檻の中で飼い殺されて欲しかったという想いがないわけではない。ひょっとすると「彼は反省なんかしていない」という声は、そうした人自身の願望を投影したものなのかもしれない。

そういう気付きを与えてくれる意味でも、純粋な悪のもつ清々しさを垣間見せてくれる本書は、おススメしたい一冊だ。








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